自分の正しさを相手に理解してもらえない時

そもそも、あなたが絶対に正しいということが、どうしてそんなに大切なんでしょうか?あなたの考え、あなたのやり方、あなたの見方がそのまま受け入れられることに、どうしてそこまでこだわりますか?

これらを相手に要求し続けることで、どれだけ問題を悪化させ、人間関係を複雑にし、思い悩んでいますか?

一度あなたの主張を抑えて、一歩でも二歩でも下がってみて、相手を受け入れてみることは、そんなにダメなことでしょうか?そんなにデメリットに溢れていますか?

自分の正しさをそれを認めない人の前で論争するのは、エネルギーがいります。国家レベルのこと、裁判のこと、会社の存続に関わること、人の生命に関わるようなこと・・・そんなことではないのなら、「感情レベル」のやりとりに早く身を引いた方が、結果的に問題が早く解決することが多いです。そして、たとえ問題が早く解決しなくても、あなたの気持ちから怒りが確実に早く静まります。

家族とやりとりする日常の問題もそう。
結局のところ、一番大切なのは、あなた自身の心が平安であり、穏やかであり、満たされていること。誰だって、それを求めているんです。意識的にせよ、無意識にせよ。

なぜなら、あなたの心が平安で、穏やかで、満たされているのなら、幸せな気持ちになれるから。安心した気持ちになれるから。ちょっとしたことに感謝した気持ちになれるから。明日はどうか分からないけれど、少なくとも今日この一日はハッピーでいられるから。それをどれだけ私たちは望んでいるのか?ということに全てつながっていきます。

多くの人が、明日の満足と明日の幸せと、明日の安心を求めすぎるがあまり、今日という日の満足と幸せと安心を軽視して、それが結局、明日を暗くすることにつなげてしまっています。

今、ここで起きている議論に参戦しないことは、明日よりも、今日の心を優先する行為
確かに解決したいかもしれないし、ムカついているかもしれないし、イライラしているかもしれないし、どうして受け入れられないのかと、頭を抱え、嘆いているかもしれません。早くこの問題を解消して、相手に分からせて、スッキリしたいかもしれません。でも、その思いをそのまま言葉にして、行動にしたところで・・・その気持ちで出てくるあなたの声のトーンは落ち着きを失っていて、相手と張り詰めた空気の中での議論をもたらします。そんな議論をして、喧嘩をして、疲労するという選択ではなくて、議論そのものから引き下がってみることです。

今までだったら、絶対に言っていた「あの行動」「あの言葉」をとりあえず「やらず」に、「言わず」にしてみます。

そんなのは先延ばしじゃないか、ただの現実逃避じゃないか、問題が解消しないじゃないか、と自分に語りかけてくる、”それらしい”様々な理由に耳を貸すのはもうやめましょう。そんなことに耳を貸して、焦り、不安になり、慌てふためくのをやめましょう。そして論争から身を引きましょう。

論争からそもそも身を引くことで、確かに、議論で、相手を負かすことはできないかもしれません。でも、論争に身を引いたことで、あなた自身が、あなたという尊厳と、あなたの心に今もちゃんと残っている静けさを取り戻します。

それはあなたが思ったよりとるにたらないものに見えるかもしれませんが、あなたが論争に参加して、あなたのもっとも醜い姿を明らかにすることよりはるかに素晴らしいものを得ているということを、知っておいてください。

今日、この一日、その論争から身を引いたことで、また最悪な過去をつくるきっかけを、あなたは完全に抹消したのです。

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